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福岡高等裁判所 昭和45年(う)222号 判決 1972年1月24日

被告人 堤政一

主文

本件控訴を棄却する。

当審における訴訟費用中、証人鴫山八蔵に支給した分は被告人の負担とする。

理由

弁護人副島次郎が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人ならびに弁護人木下秀雄提出の各控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

同各控訴趣意について。

所論は、要するに、(1)被告人は、本件約束手形二通を振出したことはなく、これはいずれも被告人が振出名義を偽造されたものであり、また、(2)被告人が本件不動産についてなした贈与ならびに債務負担に基づく抵当権設定登記は債権者からの強制執行を免れる目的でなした仮装のものではなく、全部真実なものであり、加えて、(3)右抵当権の設定登記をした本件不動産は本件当時八〇〇余万円の価値を有していたと鑑定されているので、これからまず右被担保債権額一八〇万円を弁済しても、なお本件手形金債務二九〇万円の強制執行を担保することができる残余財産があつたのであるから、被告人の本件行為は債権者の強制執行を妨害したことにはならない。従つて、右いずれの点からするも、被告人に対しては無罪の言渡をすべきであるのに、何等の説明もなく有罪の言渡をした原判決は証拠の取捨判断を誤った結果事実を誤認し、あるいは理由不備の違法があるので破棄を免れない、というのである。

よつて、本件記録ならびに原審および当審において取調べた証拠を検討して考察するに、原判決挙示の、被告人の検察官に対する供述調書二通は、原審証人木村重夫の供述により、あるいはこれを原審公判廷における被告人の供述と対比し、または他の証拠に照らして考えると、所論のように、検察官から被告人に対する強制、誤導等による虚偽の供述であるとは認められず、むしろいずれも任意になされたもので、措信するに足るものと思われる。

しかして、被告人の検察官に対する供述調書二通を含む原判決挙示の証拠によれば、原判示各事実は、いずれも、これを認めるに十分である。

以下にこれを分説する。

第一(本件約束手形の振出行為について。)

(証拠略)によると、被告人は、昭和三六年七月二〇日に、福岡県筑後市大字和泉一四一番地の一石橋淳助方二階の、原裁判所の検証調書添付の図面〈Ⅱ〉の部屋において、石川定美が石橋七蔵から買受けた山林立木約二、〇〇〇本の代金三九〇万円の内金三七〇万円の債務の支払いを堤千代吉と共に保証するため、本件約束手形二通の各振出人欄に、自己および堤千代吉の各住所氏名を記載し、被告人はその名下に、当日そのために同所に持参していた自己の印を押捺したことが認められるところ、これを裏付けるように、(証拠略)によれば、本件二通の約束手形の振出人欄に記載してある堤政一および堤千代吉の各住所氏名の筆跡はいずれも堤政一(被告人)の筆跡と同一であつて、石橋淳助および堤千代吉の筆跡とは別異であることが認められる。

右事実に徴すると、原判決が認定し、被告人の司法巡査および検察官に対する供述調書各二通の記載にあらわれているとおり、被告人は石川定美の保証人となるために本件約束手形二通の振出人欄に石川定美および堤千代吉と名を連ねて署名押印することによつてこれが共同振出人となつたことが認められる。(証拠判断略)

なお、弁護人木下秀雄は、被告人が原審公判廷において本件約束手形の振出行為を否認しているのに、原判決がこれを排斥して有罪の認定をしながら、この点について特に判断を示さず証拠の標目を掲げているに過ぎないことが刑事訴訟法第三三五条第二項に違反する旨非難するが、右約束手形の振出行為の否認ならびに偽造された旨の主張は、同法第三三五条第二項にいわゆる、「法律上犯罪の成立を妨げる理由又は刑の加重減免の理由となる事実」に該当しないし、また同法第三三五条第一項によれば、有罪判決には証拠の標目を示せば足り、証拠説明をすることは要求されていないところであるので、これをしないからといつて直ちに理由不備等のかしがあるものとは解することができない。従つて原判決には所論のような違法はない。

第二(強制執行を免れる目的の存否について。)

(証拠略)によれば、

(一)  本件約束手形二通は、所持人石橋七蔵によつて各その支払期日(額面一五〇万円のものは昭和三六年一〇月三一日、額面二二〇万円のものは同年一二月一五日)に支払場所(株式会社西日本相互銀行黒木支店)に呈示されたがいずれも「当座取引なし」との理由で支払いを拒絶されたこと、

(二)  石川定美は、石橋七蔵に対し、右一五〇万円の手形金の内金として、同年一〇月初め金五〇万円、翌一一月に金二〇万円、翌一二月に金一〇万円の、合計金八〇万円を支払つたのみであつたので、合計金二九〇万円の手形債務が残存していたこと、

(三)  石橋七蔵は、昭和三七年春頃金融業加藤田商事有限会社から本件手形二通を譲渡担保として金二九〇万円を借り受け、これが取立を依頼したこと、

(四)  被告人は、昭和三七年六月二六日、右加藤田商事有限会社の代表取締役加藤田甚市から、「右手形二通を譲渡担保として石橋七蔵に金二九〇万円を融資しているが、同人がその支払いをしないので、手形振出人において来る六月三〇日までに直接同会社にこれを完済されたく、若し完済されない場合は法律上の手続により取立を開始する。」旨の請求書と題する内容証明郵便を受領したこと(これと同一文面の請求書は堤千代吉および石川定美に対しても同じ頃発送され到達した)、

(五)  石川定美は、当時、木材業および製材業を営んでいたが、その所有と思われる家屋、製材工場等の不動産は全部同人の家族員の所有名義となつていて、同人の所有名義のものは何もなかつたこと、また、被告人は石橋七蔵から何回となく右手形金支払い方の請求を受けていたし、自己においてもその請求を石川定美に取次いだこともあつたので、同人からの手形金取立は極めて困難であることを察知していたこと、

(六)  被告人は、加藤田商事有限会社からの右内容証明郵便による請求書を受領し、被告人としては別に山を買つたわけではなく、このような代金の支払いをする必要はないものと考え、右石川の財産状態からすると自己所有の財産に対し強制執行を受けるかも知れないものと不安に思い、その頃、石川定美から、財産を全部他人名義に登記しておけば差押えは受けない旨教えられていたので、直ちに、堤千代吉と相談して、右加藤田商事からの強制執行を免れようと考えたこと、そのため、被告人は本件当時四七歳の一応の健康体(病気といえば同年五月に盲腸を手術した程度)であり、息子達は後記のとおりまだ二〇歳ないし一三歳であつていずれも独立して生計を営み得る年頃ではなく、被告人自身父の死後三、四ヵ月を経て相続登記をしていることなどから、特に被告人の生前に贈与すべき合理的理由はなく、真実自己所有名義の不動産を息子達に贈与する意思はなかつたのにこれを贈与したことに仮装したり、また、被告人は実弟逸雄から金一八〇万円を借り受けたことがなく、同人は昭和二五年に、父の死後、被告人の世帯から独立したが、その際被告人は山林、畑、宅地等六反位を分け与え、家屋まで新築してやつているので、なおそれから一二年も経過した本件当時において、被告人が同人に金一八〇万円の金員を年利率一割の利息付きで期日を限つて交付しなければならない合理的な理由もなかつたが、同人から金一八〇万円を借金したことにして、その債務を担保するために、右贈与した分を除く自己所有名義のほとんど全部の不動産に抵当権を設定しようと企てたこと、

(七)  被告人は、前記請求書と題する内容証明郵便を受領した日の翌二七日、堤千代吉と共に、八女郡黒木町の司法書士元村緑方に赴き、同人に依頼して原判示第一のように、同月二八日および三〇日の両日にわたり、原判示第一目録記載の家屋、宅地および山林等の不動産を長男提義盛(当時二〇歳)、二男保光(当時一六歳)および三男保広(当時一三歳)の共有名義に、贈与による所有権移転登記手続を経了したこと、また、これと同様に、堤千代吉においても、本件起訴状記載の公訴事実第一のとおり、第一の(一)の(1)、(2)および(3)の住宅、宅地および山林を二男提義則名義に、(4)の山林等を三男堤龍一名義に贈与による所有権移転登記手続を経了したこと、

(八)  次いで、被告人は、原判示第二のとおり、昭和三七年七月五日、堤千代吉と共に、久留米市日吉町四六番地公証人役場に赴き、公証人高橋敏雄をして、同年四月一〇日に自己の実弟堤逸雄から金一八〇万円を、利息年一割、弁済期昭和四二年一二月末日、遅延損害金年二割の約で借り受けた旨の虚偽の公正証書を作成させた後、右七月五日、前記元村司法書士をして、原判示第二目録記載の不動産(自己所有名義の全不動産中、原判示第一目録記載の不動産の外山林一筆を除く全部)について、同年四月一〇日右金一八〇万円の金銭消費貸借に基づく抵当権設定契約による抵当権設定登記申請書を作成させ、同年七月六日その登記手続を経了したこと、また、これと全く同様に、堤千代吉においても、起訴状記載の公訴事実第一の(二)のとおり、同年七月五日、高橋公証人をして、同年五月一五日に堤千代吉がその実弟堤茂樹から金一五〇万円を借り受けた旨の虚偽の公正証書を作成させ、同日右元村司法書士をして右公訴事実第一の(二)の(1)および(2)記載の不動産(前記贈与した分を除いた自己所有名義の全不動産)について、同年五月一五日金一五〇万円の金銭消費貸借に基づく抵当権設定契約による抵当権設定登記申請書を作成させ、同年七月六日その登記手続を経了したこと、

が認められる。

以上認定のような諸事情に徴すると、原判決が認定しているとおり、被告人は、加藤田商事有限会社から前記請求書と題する内容証明郵便を受領するや、若しその請求に応じないときは、同会社から自己所有名義の原判示の第一、第二目録記載の全不動産について強制執行を受けるかも知れないことを予測して、これを免れる目的をもつて、仮装の贈与による所有権譲渡および仮装の金銭消費貸借契約締結による債務負担に基づく抵当権設定契約によつて本件各登記手続を経了したものと認めるのが相当である。(証拠判断省略)

なお、記録によれば、当時被告人の所有名義の不動産で、被告人が本件贈与および抵当権設定の目的としなかつたものとして、

八女郡黒木町大字鹿子生字大股二二五九番地の一

一、山林 三畝一一歩(一三九平方メートル)

の一筆のあることが認められるけれども、黒木町長作成名義の昭和四二年一一月二四日付固定資産評価証明書によれば、昭和四二年度の評価額は九、八七五円とされていて、これを本件贈与等の目的としなかつたことが、本件犯罪の成否に直接影響があるものとも認められないので、前記認定に何らの消長を来たすものとは考えられないのである。

また、被告人は、現在、原判示第一、第二目録記載の不動産および右山林の外に、被告人が本件当時買受け所有していた旨主張する

(一)  八女郡黒木町大字鹿子生字糯田二五八九番地の一

一、田  一〇三四平方メートル

(二)  同町大字鹿子生字糯田二五八九番地の二

一、山林 九六七平方メートル

(三)  同町大字鹿子生字御子の谷二〇七三番地の五

一、山林 一反二三歩

の三筆を所有していることが認められるけれども、右各不動産に関する各登記簿謄本によれば、(一)の物件は昭和四四年七月一一日に、(二)および(三)の各物件はいずれも同年五月二〇日に、それぞれ被告人に対して所有権移転登記が経了され、各同日付をもつて完全な所有権を取得したことが認められるから、いずれも本件における議論の対象とするのに適しない。

第三(残余財産の有無と強制執行妨害罪の成否について。)

(証拠略)によれば、原判示第二目録記載の二二筆の不動産の合計価格が、昭和三七年当時において、八〇〇余万円のものであつた旨鑑定していることが認められる。しかし、右鑑定人堤太一作成の鑑定書によれば、八女郡黒木町税務課土地台帳による、本件当時の右第二目録記載の不動産の固定資産税評価額は合計して四三万四、五六一円にしか評価されていなかつたことが明らかであるので、右不動産の価格が、当時、果して右鑑定結果のとおり八〇〇余万円のものであつたのか、にわかに断定できないにしても、通常、一般的に、固定資産税評価額が社会における取引価格よりも極めて低く評価されている実情であることを併わせ考えれば、右不動産の価格は、少なくとも、被担保債権額一八〇万円をまずこれから控除しても、なお本件手形債務二九〇万円の強制執行を担保するに足りるくらいの残余財産が生ずる程度はあつたかもしれなかつたことが窺われるが、他方において、町役場の固定資産評価額が右のように四三万余円であつたこと、および被告人は前記認定のように加藤田商事有限会社からの強制執行を免れる目的で仮装債務を負担しこれを担保するために本件抵当権設定登記をなしたことなどに徴すると、被告人は本件当時本件土地の価格をもつと低く評価して、一八〇万円の抵当権を設定しておけば(利息年一割、遅延損害金年二割の約定をも含めて)加藤田商事は強制執行できないし、もしこれをなしたとして無効果に帰するものとみていたものと思われること、そして、本件当時において、被告人が右不動産の価格を八〇〇余万円に評価していたならば、加藤田商事の強制執行を免れるために僅か一八〇万円の仮装債務を負担し、これに基づいて抵当権を設定することはしなかつたであろうこと、などの諸事情をも容易に推認されるところである。従つて、被告人の本件行為後八年も経過した昭和四五年に至り、昭和三七年当時における右不動産の価格が八〇〇余万円のものであつたと鑑定されたとしても、そのことから、直ちに、所論のように、本件行為当時、被告人において、債権者からの強制執行を免れる目的がなかつたものとは到底いうことができないのである。

しかして、強制執行免脱罪(刑法第九六条の二)は、公務執行妨害罪の一種として、国家行為である強制執行手続が適正に行なわれることを担保する趣意で、しかも究極的には債権者の債権の保護を図ることをその主眼として規定されていることに鑑みれば、強制執行を免れる目的をもつて同条所定の行為を行なえば直ちに犯罪が成立し、所論のように、実際に、これを免れたことを要しないものと解すべきである。けだし、このように解しなければ、後述のようにその所期する国家の強制執行手続の適正な行使は担保されないと同時に債権者の債権は保護されないことになるからである。

すなわち、本件のように、債権者の強制執行を免れる目的をもつて、自己所有の財産の重要部分(居宅および宅地等)を仮装贈与し、他の部分について仮装の債権を担保するため仮装の抵当権を設定したところ、行為時から八年後の鑑定において、右抵当物件が前記のとおり、仮装債権額(本件においては元本一八〇万円ならびにこれに対する年一割の利息および年二割の遅延損害金を含めて)を引去り控除したうえ、なお執行債権額を担保するに足りる残余財産があつたかも知れなかつたことが判明した場合において、所論のように、強制執行を免れたことにならないとして本罪を構成しないものとすれば、まず、被告人は自己の居宅および宅地等の重要な財産を仮装譲渡することによつて、すでにこの部分についての国家の強制執行を完全に免れていて、かつこれからの債権者の債権取立てを不可能ならしめていることはもちろん、他の財産(本件では抵当物件)から債権の弁済を受け得るかどうかは全く不明であるので債権者は極めて不安な状況下に置かれているのにかかわらず、常に右抵当物件の鑑定をしその価格を見たうえでないと被告人の罪責の有無を確定できないことになり、そのため刑事訴訟手続はいたずらに複雑化することになると共に、債権者の犠牲において悪質な債務者の保護に偏することになること、次ぎに、本件当時、右抵当物件の価格が真実鑑定結果のとおりの価格であつたかどうか不明であるうえに、当時債権者が抵当物件に対して強制執行の挙に出ていたとしても、本件のようにへんぴな山村の田畑(仮りに、そのある部分について密柑が植樹されていたとしても)が果して鑑定書記載のとおりの高い値段で競落され、その売得金から自己の債権の満足を完全に得ることができたかどうか全く不明であつたのにかかわらず、後日(本件では八年もの後)の土地の評価方法如何により、しかも、それも観念的な数額計算のみによつて、被告人が強制執行を免れたり、免れなかつたりすることになつて極めて不合理であり、右所論を徹底すれば、結局、本罪の成否は、被告人の行為後長年月を経過した後(本件においては一〇年以上も後になると思われる。)の執行終了をまつて、債権者が執行債権の満足を得たか否かを見届けてしか論じ得ないことになつて妥当ではなく、またそれでは債権者は常に悪らつな債務者等のため詐害行為取消権等の行使による長年月にわたる民事訴訟と多大の費用の支出を余儀なくされるおそれがあり、他面において、国家の強制執行機能は常に錯雑化した民事関係のため、長期間にわたり、その機能を停止し、あるいは、その適正な行使を阻まれた状態に陥るおそれがあるのにかかわらず、行為者に対して本罪の刑責を問うことができないことになるのである。かくては、同条の所期する国家の強制執行の適正な行使の担保ならびに正当な債権者の債権保護は遂に完うすることができず、ひいて、本罪の存在理由それ自体が全く没却せしめられる結果となるのである。

従つて、所論のような見解は到底とることができない。

なお、弁護人副島次郎は、原判決が右の点について特に説示していないことをもつて理由不備の違法がある、と主張するが、原判決は右と同一の法律的見解によつて被告人に対し有罪の判決をしたことがその判文上明らかであるから、特にこれが法律的見解を示さないからといつて理由不備の違法があるものとは認められない。

第四(結論。)

以上のとおり、被告人は石川定美の保証人として本件約束手形二通の振出人となつたものであり、被告人のなした本件贈与ならびに債務負担および抵当権設定はいずれも手形金債権者加藤田商事有限会社からの強制執行を免れる目的でなされた仮装のものであつたことが認められ、また、抵当権を設定した原判示第二目録記載の物件の価格が、本件当時において、八〇〇余万円のものであつたと鑑定され、これにより本件仮装債権(被担保債権)額一八〇万円および右手形債務二九〇万円を支払うことができたかもわからなかつたとしても、本犯罪が成立しないものとはいえないものと解するので、これと同趣旨に出て、被告人に対し有罪の言渡をした原判決は、いずれの点からするも極めて相当であつて、所論のような証拠の取捨判断を誤り、ひいて事実を誤認しまたは理由不備の違法はない。各論旨はいずれも理由がない。

そこで刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却し、なお当審における訴訟費用中、当審証人鴫山八蔵に支給した分は、同法第一八一条第一項本文に従い、被告人に負担させることとする。よつて主文のとおり判決する。

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